ドタキャンされて落ち込む・悩むあなたの心を軽くする考え方

友達とでも、仕事でも、当日とか前日の突然キャンセル、所謂ドタキャンってたまーーーに、ありますよね。

お客様の予約を取るようなお仕事をされている方だと、一般の方よりは多いかもしれませんね。

でも、友人関係などでもあることです。

ドタキャンがあると、予定は狂うし、それまでの準備の時間も無駄になったように思えるし、本当は行きたくなかったのかな、、とか、どうでもいいと思われているのかな、、とかいろいろと考えてしまいますよね。

今回は、そんなドタキャンについてもう悩まなくなる考え方をご紹介したいと思います。

ドタキャンはいつから?

そもそも、「ドタキャン」はいつからの約束の変更をいうのでしょうか?

こちらは、Jタウンネットというサイトで行われているアンケートです。参考までに見てみると、1238票中、約4割が1日前からと回答しています。

1日前~1時間前が約9割の回答となっており、人によるものの1日前になったらドタキャンだと思ってよさそうです。


ドタキャンがあったらどうするか

ここから、実際にドタキャンがあった時にどう考えていけばよいのかにうつっていきます。

まず、最初に考えるのは、何回目のドタキャンかということです。

私は1回目のドタキャンについては気にしないことを決めています。

でも、2回目に起こった時は別です。
事情は考慮しますが、新たな仕事関係や友人関係だったら距離を置かせてもらうことがあります。

ドタキャンに対する自分のスタンスを決めておく

先ほど、私はドタキャンに対して1回目と2回目のスタンスを決めていると書きました。

このスタンスを決めるまでは、ドタキャンがあったたびにその人との関係をどうしようかと考えたり、悲しくなったり、気まずい気持ちがわいてきたりしていました。

でも、自分のスタンスを決めたら、いちいち悩まなくてよくなりました。

同じドタキャンでも、自分の考え方次第でイライラするか、その時間が有意義になるか大きく変わります。

私は、ドタキャンの時の自分のスタンスを決めましたが、それに至った考え方と理由を書いていこうと思います。

1回目のドタキャンについて

OK!

1回目のドタキャンを、私は気にしないと決めています。
その3つの理由をご紹介します。

①人間、誰でも突然何かが起こることがあるから

昨日までは普通に元気だったのに朝起きたら38度の発熱でインフルエンザ・・・

とか

突然子供が嘔吐した

とか

なんでこんな時に限って学校から呼び出しがかかるの?!

どうしてか分からないけれどスケジュールに入っていなかった・・

ということが起こることがあります。



それは、相手だけではなくて私も同様です。

私も、これまでの人生では突然ことで相手に迷惑をかけ、受け入れてもらってきました。

正直なところ、私の記憶では自分がドタキャンで迷惑をかけたあまりありません。でも、人の脳は、自分の都合の悪いことは忘れてしまうものなので、何十年か生きていればそういうこともあったはずです。

逆に、私も、いろいろな理由で事情が変わりドタキャンをした相手を受け入てきたことがあります。

そして、これからもきっと、自分も迷惑をかけるし、かけられることもあるでしょう。


シンプルに、人が人と生きるって、そういうことだと思っています。



それに、「何かが起こる時」というのは、自分の意思とは反して起こる事の方がほとんどです。

天災同様に、すべての事象が自分の意思や人間の意思でコントロールできるわけではありませんので、その事象が起こったら起こったなりに考える、ということが必要です。



余談ですが、そういった事情が起こる(起こった)にもかかわらず、無理をして頑張り続けることが今までの日本でした。
(絶対に遅刻や欠勤は許されない、というようなこと)

そんな風潮は変わってほしいなとも思っています。


そんなわけで、人間、誰でも突然何かが起こることがあるので、1度目のドタキャンについては気にしないことにしています。

優しく守られているハート

②長い目で見れば、ゆるし・ゆるし合う関係だから


このタイトルにも使っておきながらドタキャンをゆるす・ゆるさない、というのは適切な表現ではないなとも思っています。でも、適切な言葉が思いつきません。

さて、先ほども、これまでの人生で相手にドタキャン(もちろんその他のことでも)で迷惑をかけてしまうことはありましたし、これからもあると書きました。



目の前の相手にとっては、迷惑をかける・かけられるの関係は1度きりしかないかもしれませんが

人生の長い目で見れば、自分にとっても相手にとっても、人に迷惑や負担をかけ・かけられ、それをゆるし・ゆるされあうことを繰り返しているものですよね。

今回、ドタキャンをされたのだとしたら、対象となる方は違うけれど、今回のドタキャンを許容することを通して、これまで私がドタキャンをしてしまったにもかかわらず受け入れて下さってき「誰か」への感謝と、もしかするとこれから受け入れて下さる「誰か」への感謝の気持ちを表現していると考えるようにしています。

そうすると、1度目のドタキャンへのストレスはかなりなくなります。

③人と事情を受け入れあう関係でいたいから

1回目のドタキャンは気にしなくてよい、3つ目の理由です。

人には、その人自身がコントロールできるものもあれば、できないものもあります。そういう、いろいろなものがある中でみんな一生懸命に生きています。

だから、相手の事情に思いやりを寄せ、理解を示し、優しさを交換できる人でありたいし、そういう関係でいられる相手と一緒にいたいと思っています。

そういう考えで、相手の突然の「事情を受け入れる」ことが、1度目のドタキャンは気にしないということにも繋がっています。

差し出されたハート

2回目以降のドタキャンについて

1度目の予約キャンセルについては、上の3つの理由から全く気にしていないと書きました。

しかし、2回目以降については関係を見直すこともあります。

様々なことから考えてきた結果ですが、考えは人によりますので、あくまで一人の人の意見としてくださいね。

想い合える方と想い合いたいから

不思議なもので、約束を大切にしたいのに、同じ人との約束の1回目にも2回目にも「なんでこんなことが今起こるの?」ということが起こり、約束を守れないこともあります。

ですが、世の中にはいろいろな考えの人がいて、少数ですが、相手の事情を考慮する発想をもてないような人もいらっしゃいます。

そういった人に関しては、「自分」視点しかないので、こちらがどれほど相手の事情を慮ったり歩み寄ってもその想いは一方通行なので、エネルギーが出ていくだけになってしまいます。

人間は、会話も想いも、伝え・受け取る・伝え返す、思い・思われることでバランスがとられるものです。

そして、相手を思うエネルギーが一方的に出ていくだけの時の疲れ方はエネルギー消費が激しいので回復に時間がかかり、ほかのことにも影響が出てしまいます。


「自分も大切にするけれど、相手も大切にする」

私はその価値観を大切にする方たちとお付き合いをしたいと思っています。

ですので、2度のドタキャンは「その同じ価値観をもてるか分からない」ということを表すできごとのため、その場合は思いやりの気持ちは心にとどめ、相手の様子を冷静に見る必要があります。

ハートのカプチーノを持つ男女

思考を整えておくことが重要だから

過去に1度ドタキャンをした人が2度目のドタキャンをした場合、小さいけれど残念な気持ちが生まれてしまうのが正直なところです。

もう少し器の大きい人になりたいといつも思いますが、まだそこにたどり着けていません。

なので、残念な気持ちが、本来考えなくてもよいはずのネガティブな思考を連れてくることがあります。


私は、基本的にテレビも見ませんし、ニュースも見ません。

それは、健全な思考を保つために、自分が望まない情報は入ってこないようにしているからです。


同じように、2回目のドタキャンをした人にクールに対応させてもらうのは「これ以上自分が望まないネガティブ(残念だと感じてしまう)な情報を考えない」を保つためでもあります。

それは、クリアな思考環境を保ち、感情と思考を整えておくことは、自分自身にとっても、周りの方への配慮でもある、私がすべきことだと思っているからです。

縁がなかったと考えるから

皆さんは、気付いたらあれよあれよという間に話が進んでいた!とか、予期せぬ出会いのおかげで今の自分があるとか、そういう経験はありませんか?

そのように、物事がうまくいくときというのは、自分の努力や行動もあるけれど、それ以上に周りもうまく流れてことが進むということが起こるものです。



今回は、その逆のパターンなのです。

最初の理由のところでも書きましたが、人には同じ人との約束の1回目にも2回目にも、なんでこんなことが今起こるの?ということが起こることもあります。

例えば、1度目は親戚の不幸、2度目は突然の体調不良など、本人には全く落ち度がないこともあります。


だけど、

なぜか、その物事をしようとするとうまくいかない

ということがあります。


それを日本では昔から「縁がない」と表現します

まだその人や物事と出会うタイミングではないとか、つながるべきではないとか、が、そういうことだったのだろうなと、生きていれば後から分かることもあります。

これは、相手が悪いとか悪くないとか、自分のせいだとか、そういう話ではないのです。


そのような時は、そのドタキャンによって生まれた時間に出会い、学ぶなにかがあるのかもしれません。

人の頭ですべてコントロールできる、という考えを脇に置き、流れに身を任せる、というのも必要な考えだと思っています。

淡さがきらめく

ドタキャンから生まれたこと

この記事は、ある日のドタキャンで空いた時間に書きました。

これまで考えてきたことを改めて整理できてすっきりしたのでいい時間でした。

そして、こうやってブログとして書いたことでどなたが見て、なにか気づきを得ることにつながったなら嬉しいなと思います。

幸せに生きる考え方が他にもあります。
よかったらほかの記事も覗いて行って下さいね。

Resacoでした。

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